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2010年10月 5日 (火曜日)

【小説】雪の便り

「雪の便り」

 

―― 十一月十七日。毎年この日付をまたぐ頃になると、私の故郷には雪が降り始める。

 

 

 

 「じっちゃ、あれぁ、今ころどしてらんだべなあ?」

嫗(おうな)の問いかけには何も応えず、翁は厳しい顔つきで囲炉裏の端に煙管(きせる)の灰を落とした。

その仕草と翁の横顔だけで全てを悟ったように、嫗もまた黙りこくってしまった。

二人は、朝から降り始めた雪が、窓枠に降り積もっては崩れて落ちる繰り返しを、囲炉裏で手を炙りながら見詰めていた。

どれほどの時が経ったのだろう、嫗が思い出したように半纏の袂から一通の葉書を取り出しながら、白い息と共に口を開いた。

 「ほんだ、今朝よ、手紙っこ届いでらったんだじゃ。」

手紙?と訝しげに呟きながら翁は差し出された葉書を手に取った。

翁が葉書に目を通す間も、嫗は囲炉裏で手を炙りながら既に真っ白に染まった窓の外を眺めていた。

ふんと鼻を鳴らしながら、翁は何度も、何度も、葉書にかかれた文字を読み返していた。

 「おらんどぁ、幸せだなあ。こったに孝行の孫っこぁ、いるんだすけ。」

嫗は囲炉裏の火に照らされて真っ赤になった満面の笑顔を翁に向け、私にももう一度読ませてと葉書に手を伸ばした。

 「初雪がぁ・・・」

翁はそうぼそりと呟いてから立ち上がると、壁にかけてあるカレンダーへと歩み寄る。カレンダーを壁に留めてある釘には紐が括り付けられた鉛筆が吊るしてあり、それを手に取ると今日の日付の欄に孫の名と“初雪”と記した。

嫗も「よっこらしょ」の掛け声と共に立ち上がると、囲炉裏端から土間続きの玄関へと向かった。

 「ほんだな、これだばまんつ、わへるこど(忘れること)もねがべ。」

玄関から聞こえてくる嫗の言葉を胸のうちで反芻しながら、翁は煙管に火を灯した。

 

 

 

 

 

エディトリアルデザイナーになりたい。

夢を叶えるため――というよりも、自分の場合は夢で終わらせてなるものかといった気概のほうが強かった。

本州の北のはずれにある、住民のすべてが家族のような小さな田舎町から飛び出して、すでに二十年近くになる。

私が長男だったからだろうか、父母には上京を猛反対された。

十八年間生まれ育った自然に囲まれてのんびりとした田舎町は、短い春には色とりどりの花が咲き乱れ、夏には山々が思うさま緑を繁茂し、秋には町を含む一帯が赤々と燃えあがり、長い冬には何色にも染まらないという矛盾をもった白無垢で着飾るのだった。

上京して分かったことはいくつもあるのだが、自分の気持ちの中での一番の発見は、そんな故郷の自然を心底愛していたことに改めて気がついたことだろう。故郷で暮らしていた頃は忌々しい存在でしかなかった五月蝿過ぎる夏の油蝉や、人々の生活を脅かすばかりの豪雪さえも、今では愛おしい。

若気の至りも手伝った無鉄砲な上京で住まうことになった大都会の真ん中は、田舎町とはそのすべてが真逆であったからなお更だ。

街を行きかう人々はいつも足早に目の前を通り過ぎ、同じアパートの住人同士は顔を合わせることがあっても挨拶などはない。季節が感じられるものと言えば、商売と直結しているだけの季節感を無理やり演出する店々のショウウィンドウや人々の服装、車の排気ガスにさらされながらも健気に枝を伸ばす街路樹、そして“季節の一品”とわざわざ書かれた大衆居酒屋のメニューくらいだ。

それでも、立ち並ぶビルの隙間を吹き荒ぶ風の中に極僅かに感じられる季節の薫りを嗅ぎ取れるのは、生粋の都会人ではないおかげなのだろう。

 

 

食べていく為だけに続けていた週末深夜の工事警備員のアルバイトから解放されたのは、上京して十年ほど経ってからだった。

新生活開始からの三年間は、発行部数三千部という昆虫専門のマニアックな月刊雑誌を発行しているだけの、社長と社員、アルバイトを含め五名しか居ない小さな出版社と兼業した。小さな会社だからこそ小回りの利いた指導で、今の自分の礎となっているのは間違いない。

勤め始めてから三年ほど経ったある日、君はこんな小さな会社にいてはいけない――そう言って社長は、「でも社長・・・。」と俯く私の肩を叩きながら手には大手出版社への紹介状を握らせてくれた。

紹介された出版社には十二年間在籍した。
5年目には工事警備アルバイトとの兼業など必要のない十分なサラリーを貰っていた。さらに、書籍・雑誌編集部という休日出勤や残業などは当たり前という極めて不規則な時間割のもとで働いていたのだから、ほかの仕事との兼業などはそれこそ無理をしなければ出来るものではない。
しかしながら、外国人労働者を雇うつもりのないアルバイト先だったからだろうか、いつも人手は足りず、辞める機会を失ってしまい、そうと決めてから工事警備員に二年も従事していた。

プライオリティを自分で明確にして仕事を片付けていく――ということも、こうした経験から培ったものかもしれない。

兼業は肉体的には慣れていたので辛くはなかったが、二十代の貴重な数年間の週末をアルバイトに費やした私は、同じ年頃の若者が享受する当たり前のことさえほとんどなかった。

しかし、それが功を奏した。まったく…というわけではないが、遊びを覚えることも恋愛を楽しむことも無くせっせと働いた私は、三十歳を前に自分と同じ年頃の若者が持つ平均貯金額のおよそ三倍という資産を作った。

上京してから十五年目の春、その預金を元手にフリーデザイナーとして個人事務所を開業することが出来たのだ。

こうして、エディトリアルデザイナーとして独り立ちするための技術などは、専門学校などにも通わずに現場で叩き上げることで身につけた。

上京当時は右も左も分からなかった田舎者が、多少なりとも世の中の渡り方を覚えた十五年といっても良いだろう。

 

 

がむしゃらに突っ走ることだけを考えた十五年はあっという間に過ぎて、私を故郷とは疎遠にしていた。

上京することを両親に猛反対されたからというのもあるのかもしれない。ただ、いつも心に引っかかっていたのは、両親をなだめることで私を応援してくれた祖母と、ことの顛末には一切口を挟まなかったにも関わらず、いざ出発という朝に無言でお金の入った茶封筒を手に握らせてくれた祖父のことだ。

故郷を離れてから数年後の初冬、一度だけ二人に宛てた手紙を書いた。

そして、あれから祖父にも祖母にも結局会えないまま、私は今、祖父の家の居間に佇んでいる。

 

 

故郷に帰るきっかけは皮肉なことに上京を後押ししてくれた祖父の葬儀だった。米寿を過ぎた大往生であった。

しかし、よくよく考えれば皮肉などではない、不義理な自分のせいなのだ。そして、心底沈痛に思ったのは、あの優しく、いつも笑顔を絶やさなかった奔放な祖母までもが既に十年ほど前に亡くなっていたことだった。

フリーになるまでは、両親に連絡は取るまいとしていた自分のせいだ・・・。所在も分からぬのなら連絡の取りようも無い。

一度だけ出した祖父母へ宛てた手紙の差出人欄に書かれた上京後の住所も彼らの気遣いで両親には伝わらなかったのだろう。

厳格で派手なことが嫌いだった祖父の生前の言葉通りに、葬儀は密葬として親戚縁者だけでしめやかに執り行われた。

祖母が亡くなってからというもの、祖父独りで十年あまりを過ごしてきたこの古家に、今は祖父母の思い出を語り合う子や孫、曾孫の笑顔が溢れている。

玄関のある土間には石組みのかまどがあり、風呂もここに面している。1階には中央に囲炉裏のある板敷きの部屋と小さな仏間、二階は三畳ほどの和室のみという小さな家だ。

もともと平屋だったものを自前で改築したのだろうか…、不細工さは随所に感じられるのだが、家主が居なくなったにもかかわらず生活感溢れるその家は不思議な温もりに包まれていた。

囲炉裏を囲むように配置された足が折りたたみ式の背の低いテーブルには、寿司とビール瓶、そして酔った親戚の顔が並ぶ。私の故郷の葬式では、葬儀のあとに行われる故人を忍びつつ盛り上がる酒宴は大切な儀式なのだ。

自分の犯してしまった不義理が後ろめたいこともあり、私は酒宴の席を早々に立つと、何とはなしに玄関のある土間のほうへと歩み寄っていった。

土間からの上がりがまちに面して、祖父母の寝室であった二階へと続く階段がある。

階段に一歩踏み込んだとたん、家中に響いたのではないかと思えるほどの木の軋む音が立ったので、私は慌てて足を引っ込め踵を返した。

すると階段を背にした正面、楓の葉のレリーフが全面を覆うようにデザインされた擦りガラスの引き戸がはまっている玄関の脇に、黒板が備え付けられていた。

老人の二人暮らしでは、つい忘れがちなことなど――例えば、切れてしまった生活必需品などを気づいた時に書き記し、買い物に出かける前に玄関脇の黒板を見て確認したのかもしれない。

おそらく祖父が設置したものだろう。いかにも取ってつけたような施工のあとをみれば新築時からあるものとは到底思えない。

縦横五十センチ四方ほどの黒板は、その半分ほどの黒板を上下につなぎ合わせて作られていた。

その黒板には、かすれた白墨でこう記されている。

 

『十一月十七日の朝初雪を見る』

 

几帳面で厳格、愚直ともいえるほどに真面目だった祖父は、粋や風流、芸術や文学といった面白みとは縁遠い人だと勝手に思い込んでいた。

それが、なかなかどうして、祖父が初雪を楽しみにしていたのかと思うと、自然に私の顔もほころぶのだった。

さらに、この文章は二枚の黒板をまたぐように縦書きされているのだが、“の”と“朝”の間に黒板の継ぎ目があるために、『十一月十七日の 朝初雪を見る』と読めてしまうのである。

継ぎ目を本来の文節どおりの区切りにもってくるのなら、“朝”と“初”の間『十一月十七日の朝 初雪を見る』のはずだ。

何事にも几帳面な祖父が、こういうところは意外に雑だったのだなぁと感慨にひたりながらしばらく眺めていると、自分より二つ年上の従兄弟が背後の階段を軋みを立てながら下りてきた。

彼は上京することなくずっと地元に残っている数少ない親戚の一人だ。

 「ん?こんなところにぼーっと立ってどうしたんだい?」

私は振り返ることなく、黒板の文章を指差して彼の問いかけに「これ、いいね。」と答えた。

すると、私にとっては意外な答えが返ってきた。

 「あぁ、婆さんの書いたやつか。」

そう、これは祖父ではなく、祖母が生前に書いたものだったのである。

通りで、文節だ、黒板の継ぎ目だ、などと気にする風が無いのにも納得してしまった。

従兄弟の話では、それはもう十数年も前から黒板に書かれてあって、祖母が亡くなった後、あるとき別の用件を書き込もうと消してよいかと祖父に訊ねたら、ふたりの思い出だから絶対に消さないでくれと釘を刺されたそうだ。

「ああ見えて、意外に爺さんはロマンチストだったんだよ。」と笑いながら従兄弟は酒宴の席へと戻っていった。

ふたりの思い出――祖父は十数年もの間、毎朝独りで寝室から一階へ下りる度に、どんな気持ちで祖母の残した黒板の文字を見ていたのだろうか・・・。

 

その年の冬、僕の住む都会では珍しく十一月に初雪が観測された。十一月十七日だった。

 

 

 

 

外から帰った嫗は少女のようにはしゃぎながら玄関から囲炉裏端へと駆け込んだ。

「じっちゃ、みでのが。今年も今日が初雪になったな。」

翁は囲炉裏端で煙管を咥えたまま、ぱらぱらと降り始め、やがて窓枠に静かに積もっては崩れる雪を懐かしげにじっと見詰めていた。

 

 

 

 

 

★あとがき★

皆さんこんばんは、ハルルです♪

本日の更新は久しぶりの小説掲載です。今回のお話「雪の便り」ですが、このお話は麦さんのブログ記事(コチラです!)にインスパイアされ書いたものです。

上記リンクより是非その記事も併せてご覧下さい。お爺様とお婆様の切なくも愛情深いお気持ちがしんみりと伝わってくる素敵なお話(実話)です。

私の小説はフィクションですが、一部にそちらのエピソードも盛り込んだ内容となっています。

「雪の便り」では伏線がありながら、その後の記述のないものもあるんです。想像をめぐらして下さい。いくつかの伏線がどのような結果になったとしても、そこには不変の愛情があるはずです。

今回の小説は如何でした?麦さんの記事からも感じることのできたもの・・・、私の小説でも少しでも表現できていれば幸いです。

P.S. セリフの方言への変換作業、およびエピソードの使用をご協力ご快諾いただいた麦さんにお礼申し上げます。ありがとうございました。

 

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コメント

良い抑揚のある素敵な文章だと思いました。

そして、話の内容というよりも、
文章そのものに深い愛情を感じました。

亡き祖父母はもとより、
今では誰も見ない使わない黒板も喜んでいると思います。

ありがとう!

投稿: | 2010年10月 7日 (木曜日) 15時38分

こちらでコメントさせて頂くのは初になります。はじめまして、さらすです。
PSUでは、いつもお世話になっております♪。
小説、読ませていただきました。
一番に感じたのは、情景描写の見事さです。
情景描写は、プロでさえも必ずしもうまくない人もいるくらい難しいものですのに、巧みな表現と豊富な語彙で、脳裏にその景色が浮かぶかのように記されていて、すごく感心してしまいました。
普段からのハルルさんの読書量の多さと、観察眼の鋭さが伺えます。すごいなあ♪。
田舎を離れて15年、厳しい社会に飛び出して苦労も人情も知ってきたからこそ、故郷の価値やそこに暮らす人の思いも身に染み入るのでしょうね。
飛び出していった孫からの葉書に喜び、孫の思いを信じ、初雪を楽しむお祖母様は、とても素敵だと思います。
その思いを受け止め、ちゃんと汲み取りながらも、あくまで寡黙なお祖父様も。
素朴な人の想いって、泣けてしまうくらい素敵で大事だなあと思いました。
長々と、稚拙な文章での感想、すみませんでしたっ。
今後の創作活動にも期待しておりますね♪。

投稿: さらすばてぃ | 2010年10月 7日 (木曜日) 18時34分

>麦さん
ありがとうございます♪
黒板に秘められたお爺様の想い・・・。あの黒板がいつまでも残されると良いですね。

>さらすばてぃさん
コメントありがとうございます♪
感想をいただけるのは嬉しいですね、感謝感謝です<(_ _)>
う~ん、、、私こそ――執筆中は楽しいのですが、読み直すと稚拙な文章・・・まだまだですね(>_<)
素朴でストレートだからこそ、たとえ表に出すことはなくても決して軽くはない想い。だからこそ大切なものなのでしょうね。

お爺様の“ふたり”の思い出、どちらも切なくも大切なもの。
雪の便りは、誰からどなたの元へ思いを届けてくれるのでしょう。
原案となった素敵なエピソード、胸に染みます・・・。

投稿: ハルル | 2010年10月11日 (月曜日) 00時36分

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